秋桜

家の敷地の中にある空地は、一年中雑草ばかり生い茂る。

草刈りが私の仕事だが、雑草の中に何十本か生えているコスモスだけは

刈らずにおいた。

コスモスは子供の背丈ほど大きくなったのだが、夏にやってきた台風の雨風にことごとくなぎ倒されて、根元から折れてしまっているものもあった。

茎に支えの棒を括り付けて立ち上がらせたが、地面に倒れこんでいるものも多かった。

しかし、コスモスは強くて元気だ。みんな地上すれすれのところから、直角に上を向いて太陽に向かって伸びていったのだ。

もう、白やピンクのつぼみがたくさん出てきた。

澄んだ秋の空に、風でゆらゆらと揺れるコスモスの花の景色は大好きだ。

 

 秋桜で思い出したが、転勤になって1年だけ神戸で仕事をしたことがある。

もう十年以上も前のことだ。

職場の近くに「秋桜」という居酒屋があった。

わずか一年であったが、上司に誘われてよく飲みに行った。

ママはちょっぴり太めの美人で、淡路島出身とだけ聞いたが名前などはわからない。

若いころにバレーボールをやっていたことと、五木ひろしが好きだということが共通点で、何となく話が合った。

私が行くと、五木ひろしの曲を聞かせてくれたりして、それとなくこまごまと気を使ってくれた。

それから二年ほどして神戸に行ったとき「秋桜」の店の前を通ったら、屋号が変わっていた。

知人に聞いたら、ママは心筋梗塞で倒れて、店を廃業したとのことだった。

明るく、誰にも気さくで、はつらつと働くママだったが、元気になって、働いているのだろうか。

願わくば、コスモスのように、雨風に耐えて、地上すれすれのところからまっすぐ上に、太陽に向かって伸びて行ってくれていることを祈るのみだ。

 

 

食わず嫌い

最近になって納豆を食べるようになった

子供の頃、母親が好んで食べていたが

あのネバネバした見た目の悪さのせいか

口にしようとしなかった

 

還暦もとっくに過ぎて

三十年も付き合っている糖尿病も気になり始めた

スーパーで買ってきて食べてみた

食べてみると意外においしい

年齢を重ねると好みの味も変わるものなのか

週に何回か納豆を食べるようになった

 

六十数年も人間をやっていると

数え切れないほどの人との出会いがあった

今にして思うと食わず嫌いの人も沢山あった

もしかしたら

もっともっといろいろな味のある人との

出会いもあったかもしれない

そう思うと少し人生損をしてきたのかなとも

思う 

吾亦紅f:id:hamachan1013:20130911174941j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋止符

今日は自治会主催の人権研修。公民館まで歩いて15分ほどかかる。

たそがれ間近な田舎道、ヒンヤリした風に吹かれて、はっきりと季節の変わり目を肌で感じた。

歩きながら、思わず口ずさんでいたのは、アリスの「秋止符」だった。

谷村新司作詞、堀内孝雄作曲の私の大好きな歌の一つである。

悲しい失恋の歌で、秋の訪れとともに恋も終わってしまったという切ない気持ちを歌ったものである。

メロディーと詩が絶妙で、彼らと同じ団塊の世代を生きている私には、決して忘れることのない歌の一つになるだろう。

思えばあれやこれやで、あれほど歌っていたカラオケも、もう四か月くらい歌っていない。

「今年の秋は~いつもの秋よ~り、長くなりそうな気が~して」というところにくると、本当にそんな気がしてきた。

歌を忘れたカナリアにならないうちに、一度カラオケを歌いに行かなければ・・・・

人権研修は一時間半くらいで終わった。「ほんとうの空」というDVDを観賞したが、人権を見つめなおすいい機会になった。ただ、最初の自治会長の八分間の挨拶にはうんざりした。前もって話す内容を整理もせずに、ただ、だらだらとしゃべるので、聞く気にもなれない。まるで八分間拷問を受けている感じだ。これこそ早く終止符を打ってほしかった。

f:id:hamachan1013:20130920060839j:plain

阪神タイガース巨人軍の三発のミサイルでついに撃墜される!

我が阪神タイガースも九月に入って早々に、巨人軍の発射した三発のミサイルで木端微塵に打ち砕かれた。

長年タイガース一筋に応援していると、悪い予感だけは不思議と当たる。

テレビを見ていても和田監督の悲壮な顔つきがやたら気になる。

このまま行くと、秋風が吹くどころか、秋を通り越して木枯らしが吹くのではないかと思っていたが、今日は広島三連戦の初戦を取った。DENAも負けて少し安心。

テレビの解説もいろいろなことを聞くが、要するに実力が足りないだけのことなのだ。

一フアンとして日頃思っていることは、弱いものが強いものに向かっていくときは、負けることばかり心配せず、監督も選手も、もっとガムシャラさを前面に出して戦ってもらいたいということだ。監督業も大変だなぁとは思う。監督采配で勝つ試合なんて年に何回もないのだから、思い切った采配を振るって、負けてもいいから特攻精神でチャレンジしてほしいと思う。負けても、負けても甲子園に応援に来るお客さんはありがたい。負けるのは悔しいが、結果だけ見ているのではない。負けは負けでもそれまでの過程にもう少しこだわってほしいのだ。

メタボからの脱出その3(不幸は突然に)!

毎日七キロメートルを歩いて減量にも成功し、我ながら感心するほど脱出に成功した。糖尿の状態を示すHba1cの数値も5.5を九か月間キープした。

しかし、思ってもみなかった新たな問題が発生した。

何がきっかけになったのかわからないが、急に右膝と腰、背中に痛みを感じるようになったのだ。

毎日ウオーキングの途中に、お賽銭10円入れて龍野神社にお参りしているのに、信仰の薄いものには神様は冷たい。

お医者に行く気もしないので、しばらく歩くことを中止してみたが、それでも痛みは良くならない。

溺れる者は藁をも掴む気分で、インターネットで足、腰、背中の痛みについて調べてみた。

色々見たので、どこで見たのかわからなくなってしまったが、とりあえず次の三つのことを1日3回やって見ることにした。

やり始めてから3週間くらいになる。

どれがいいのかわからないが、確かに効果があった。痛みが激減した。

また痛みが出ないかと、恐る恐る草刈り鎌をもって、2時間ほど草刈りをやって見たが、翌日になってもどこにも痛みは出なかった。ほっと胸をなでおろしている。

 

(やって見たこと)

  1. 仰向けに寝転んで、両足をピッタリ合わせて両膝を真上にあげる。両膝が離れないように、左右に90度交互に倒すこと60回繰り返す。
  2. 直立して、肩幅より少し広く足を左右に開いて、両手で腰を固定する。頭が左右に振れないようにして、腰を右、左と交互に伸ばすこと100回
  3. うつ伏せに大の字になって、両手、両足を釣り上げるように伸ばす。パラシュートで飛び降りる時のような姿勢。これを30回繰り返す。呼吸は、両手足を上げた時に息を吐く、両手足を下した時に息を吸う。これが一番きつい。最初は20回しかできなかった。

 

かぐや姫からのメッセージ!

すすきの穂が風に揺れて

まんまるなお月様がぽっかりと

山の上に浮かんでいる

今も昔と変わることなく

 

だけど、お餅つきをしていた兎も

牛車に乗って帰っていったかぐや姫

いつの頃からかどこかに隠れてしまった

 

月の世界に人が足を踏み入れた瞬間

 みんなどこかに隠れてしまった

もう月の世界のどこをさがしても

会うことはできない

 

 金色に輝く竹の中から

再びこの大地に生まれてくることを願っても

もうその願いは空しい

 

それほど遠くない昔

人はみな、大いなる大地の恵みに感謝し

人も、動物も、ありとあらゆる生き物が

いきいきと、いたわり助け合って生きてきた

 

なのに、ほんのわずかな時の流れの中で

大気は淀み海は汚染され

緑の大地は無造作に切り取られ失われて

ひとの心さえもすっかり変わってしまった

 

かぐや姫は再びこの大地に降り立つことはない

かぐや姫にはこの大地のどこにも

もう、住める場所はないのだから 

 

 

                                            

    

 

 

いのちの詩!

遠い子供の頃の目に 焼きついているもの

山あいの川面に光った鮎の一瞬のきらめき

あれは、いのちのきらめきではなかったか

 

岩陰に見つけた魚に一瞬心をときめかせ

今にも掴めそうな手のひらから 

目にも止まらぬ素早さですり抜けていった

あれは、いのちの躍動ではなかったか

 

ぎりぎりと照りつける、真夏の太陽の下

声を限りに鳴き続けるアブラゼミニイニイゼミ

あれは、いのちの叫びではなかったか

 

停まった木にそっと手を伸ばして息を呑んだときで

一瞬にして手のひらから潜り抜けていった

あれは、いのちの瞬間移動ではなかったか

 

焼け付いた川原の砂石の上に干からびた鮠の屍骸

ほこりだらけの道端に 死んでカラカラなったアブラゼミ

夏の日照りに耐え切れずもだえ死んだミミズに

真っ黒になるほどたかっていた蟻の群れ

 

失われたいのちの空しさと

いのちあるものの素晴らしさが

遠い子供の頃に このまなこを通って 

こころの中にしみこんだのではなかったか

 

ぐねぐねと曲がっていた田んぼのあぜ道はいつのまにかなくなり

不揃いな大小の田んぼも四角い大きな田んぼに変わった

田んぼのそばの細い用水路も 一夏中泳ぎ遊んだ川も

すっかりコンクリートで改修された

 

友達と服をドロドロに汚して追っかけた

鮒やナマズは溝にも川にも見かけることもなくなり

もう遠い昔のことになってしまった

 

私のいのちを見つめる心は確かにこの少年時代に芽生えた

社会は長足の発展を遂げて

子供たちはあらゆる「物」に取り囲まれてこの上ない環境に恵まれた

 

しかし、私のような昔人から見れば子供たちも青年たちも

ゲーム機やスマートフォンのちっぽけな箱の中に閉じ込められて

それに気づかないままに

いのち無きものと夢中になって遊んでいるようにしか見えない

 

年寄りのひがみだと言われそうだが

社会の長足の発展は極めてもろく

どうしようもないアンバランスな土台の上に作られていったような気がする

f:id:hamachan1013:20030104212043j:plain

 清流 千種川