恐怖のコロナ大魔王に負けるな!
神様も仏さまも、地獄の使者コロナ大魔王にはこんなに無力なのか
いや、これは神仏が人類に与えた試練なのかも知れない
私の生きている時代に、世界がこんな地獄の風景に変わるなど
考えてみたこともなかった
月に2~3回通っていたカラオケスナックも、休業してから久しい
老人会のカラオケ同好会の活動もいつ再開するのかわからない
私は、平均寿命から考えても余命10年ほどだろう
一日が過ぎると、3日か4日過ぎてしまったような気がする
たぶん命が縮んでいるんだろう
それでも焦ってコロナにだけは殺されたくない
自分以外の人も道連れにする恐れがあるからだ
若い人は2年くらいはじっと耐えていても、まったく焦ることはない
いくらでも取り返しが効くからだ
じっと辛抱して、今出来ることをしっかりやってさえいれば
やがては笑って乾杯できる日がきっと来る
新型コロナ 緊急事態宣言に思う!
この川面を眺めながら、健康と気晴らしを兼ねて毎日散歩している。
戦後最大の国難とも言われている新型コロナウイルスの蔓延に、ついに緊急事態宣言が発せられた。
娘が神戸から帰った日に、「もう高齢者だし、持病もあるから病気になって死ぬのは仕方がないが、コロナにだけは殺されたくない。」と話した。
その理由は、戦国時代の武士が、槍や刀で戦って死ぬのは武士の本望であるが、どこから飛んでくるかわからない鉄砲玉に当たって死んでいくのは、いかにも残念という気持ちがするからだ。
戦後最大の国難に直面して、総理大臣はどんな宣言の言葉を発するのか期待していた。
正直、期待外れだった。
私は歴史に興味がある。歴史に残る偉人は、ここぞという時には、万人の心を感動させ結束を固めさせる「名演説」を残している。財政難で、他の大国のように国家予算をつぎ込めないのは理解できるが、宣言に込めた国民への思いが、聞く人一人一人の心に突き刺さるような言葉を残して欲しかった。
戦後70年以上も自由を謳歌してきたそれぞれの世代が連帯感を持てるような言葉を発するのは極めて難しい。しかし、全国民に向けて、心底国民の命を守るという言葉がにじみ出るような宣言であったなら、大人も小さな小学生にも心に残るものになっただろう。
散りゆく桜花に想いを寄せて
全世界を地獄に陥れた新型コロナは、今だ衰えを見せず終息の目途も見えない。そんなパニックのさなか、今年も龍野城の桜は晴れやかに咲き誇っている。しかし、その桜の開花を祝う武者行列などすべての行事が中止となり、ここを訪れるお客も、昨年とは比べようもなく少ない。
この週末にはほとんどが散り落ちて、再び返り咲くことなく土に戻る。おそらく、百年に一度の不幸な桜になるだろう。
しかし、桜の花は来年もまた新しい命が芽吹き、見る人の目を楽しませてくれる。
私も、命さえあれば、家族や親しい友達ともにぎやかに花見も出来る。
団塊の世代の私はもう70歳を超えた。ジタバタせずに、ただひたすらコロナの嵐の過ぎ去るのを耐えるだけだ。
先生!先生!それは先生!!
これは、森昌子の大ヒット曲「先生」の最後の小節の歌詞である。幼い中学生の少女が、担任の先生にほのかな恋心を抱いていたが、やがて別離の日が訪れるという初恋の悲しい乙女心を歌にしたものである。
しかし、今回の先生はそんなに美しい先生のことではない。最近、政務調査費で報道を賑わしている、地方の議会議員の先生のことである。ごく一部の出来の悪い議員のように報道されているが、私は、実感としては多かれ少なかれ「叩けばほこりが出る」と思っている。
テレビでインタビューを受ける議員先生のうろたえようは、見ていても腹立ちと同時に情けなさで一杯になる。これが昔の武士の時代でいうと、武士の意地を通して潔く切腹するところを、死ぬのは嫌だと逃げ回っている感じだ。
何をどうしようとして議員になろうとしたのか、その目的意識が全く感じられない。年に何百万円もかけて政務調査をしなくても、パソコン一台でも、やる気になれば世界中の情報を得ることも出来るし、自己研さんも出来る。
当選した途端に先生と呼ばれ、先生と呼ばれだした時から、ただの偉いだけの人になってしまう。学校であれば先生は専門の科目を担当するが、何が得意でなくても、とにかく当選したと同時に先生になるのだ。議員のすべてがこんな先生だといっているわけではない。崇高な政治理念をもって議員となっている人も数多いと思うが、「朱に交われば赤くなる」人もあるのも事実だ。情報公開制度が確立した現在では、正面から見れば立派なルールが作られて、いかにも整然としているように見えても、裏側からも見ることも出来るようになっている。
政務調査費にも費用対効果の考え方を持つべきだと思う。一年に一度、政務調査費を使って調査した内容とそれを議員活動にどのように活かしたかを紙面で公表してもらうようにしてはどうだろうか。一般住民は、議員そのものを知りえる機会は少ない。言わば、住民による議員の活動評価だ。これに住民からの支持点数を付けて公開するようになると、超古い議員体質も一変すると思うのだが・・・。
幸せは隣にあった!
世間では博打好きで遊び好きの男を、「飲む、打つ、買う」の三拍子そろった男と言ってあまり歓迎されない。
類にもれず、私も麻雀やパチンコ大好き人間で、大げさに言えば人生の四分の一ほどの時間をこれらに費やしてきたように思う。
先の大戦で、海軍連合艦隊司令長官 山本五十六は、最後まで日米の開戦に反対したが、開戦止むなしとなるや、鮮やかに米艦隊の集中する真珠湾攻撃を進言して、見事に奇襲を成功させた男である。
山本五十六の名言の中で、一つだけ博打について語っている。「博打をしない男はろくなやつじゃない」と言っているのだ。今まで、この言葉を自分のつごうの良いように解釈して、賭け事を良しとしてきたのだが、山本五十六の言う博打とは、国家の浮沈を賭けるような、でっかい博打だったのだと今なら理解できる。
最近は年金暮らしのこともあって、パチンコも一個一円のパチンコしかしない。久しぶりにパチンコ店に行った。最近は女性の客の方が多いぐらいになっている。私の右隣に陣取っていた男が早朝に出た四箱をみんな打ち込んで、あきらめて席を立った。私が、そこに座ろうかなと思案している間に、かなり年輩と思われるおばあちゃんが、どっかと腰を下ろした。
なんと、座ってすぐに確立変動を引き当てたのだ。それから見ている間に5連荘した。
私の台は確立99分の1の台なのに、360回以上回っても1回もかからない。それから2台席を変わったが、結局は負けてしまった。
午後2時過ぎ、帰り際に例のおばあちゃんの席を覗いてみると、何と36回出ていて、箱が山のように積まれている。幸せはすぐ隣にあったのだ。
今、こんな光景を山本五十六が見たとしたら、何というだろうか。いかに山本五十六でも、女性が大挙してパチンコ屋に行くなどという時代が来ることは、予想すらできなかっただろう。